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2012年5月14日 (月)

私たちが生きているこの世界は   若草書房編集長

     1

私たちが生きているこの世界は、もうテオ・アンゲロプロスのいない世界なのだ。

そう気がつくと、とても悲しい。

私たちが生きているこの世界は、もう網野善彦先生のいない世界なのだ。

そう思うと、ひどく悲しい。

窓から空を見上げると、空はどこまでも高く青く、魂が昇っていくようである。

     2

あの『旅芸人の記録』『エレニの旅』の、世界を変えてしまう奇跡のような美しい映像と音楽。

あの『無縁・公界・楽』の、言葉を失わせる最終章の世界論。

あの神々しい創造者が永遠に帰ってこないという悲しみ。

5月の風が、マロニエの並木を光らせながら私を追い越していく。

     3

私たちが生きているこの世界は、ジョン・レノンが殺された世界だ。

そう思うと、とても悲しい。

私たちが生きているこの世界は、石井先生が命を懸けた世界である。

そう思うと、とても悲しい。

眼を上げると、ニコライ堂の見える交差点で信号が青に変わった。

(多くの魂は、私の中にある。)

私たちが生きているこの世界は、私たちが生きている世界である。

     *世界は動かしがたいかのようである。                           
      しかし、

        すべての業には時がある。

      現代世界を支配しているプルトノミーも、民主主義によって消え去る運命にある。
      日本のシステムも世界のプルトノミーの使用人である。情報が支配を打破する。

     *村上春樹論の前半に50枚ほどの書き下ろしを書いていて、システム論が書けま
      せん。担当編集者の希望ですが、書くと必要だと思います。

     *「心から一歩も外に出ないものごとなんて、この世に存在しない」を『詩経』(毛詩)
      「詩は志なり・・・」のリライトかもしれないと考えています。村上は『老子』も読んでい
      たと千秋氏が言っていて、文学論の必読古典には眼を通したはず。

2012年4月20日 (金)

アパッチ砦の科白   若草書房編集長

     1

 『アパッチ砦』(1948)は美しい映画である。
  カスター将軍連隊全滅の悲劇がモチーフになっているジョン・フォードの西部劇だが、シンプルで明朗な佳作である。
  ジョン・ウェインは若き高倉健のようで、ヘンリー・フォンダは失敗する指揮官として適切な反感と同情を呼ぶ。『荒野の決闘』のような名作ではないが、いい映画だ。

 村上は記憶違いで、最初は『リオ・グランデの砦』と書いてしまう(「めくらやなぎと眠る女」初出1983/12)。しかし、神戸の震災チャリティー朗読会で気がついて、『アパッチ砦』と訂正している。

 1983/12初出と1995/12リライト版の違いは、80枚から45枚に短くなったほかに、帰郷の理由が祖母の葬儀のためと明記され、おいに逢うのも3年ぶりから5年ぶりに変わり、『リオ・グランデの砦』が『アパッチ砦』に訂正される。
 分量的にいちばん大きな変化は、バスに乗り合わせる老人たちの記述が6頁分から半頁分ほどに激減することだ。(この老人たちは幽霊であると感じるが、それはリライトされるとラストで明記される。)

     2

  『大丈夫です、閣下がインディアンを見ることができたというのは、本当はインディアンが
  いないってことです』                           (初出 文庫164頁)

  『大丈夫です。閣下がインディアンを見かけたというのは、つまりインディアンはそこにい
  ないということです』                          (リライト 文庫205頁)

 微妙な違いではあるが、「本当は」と「つまり」の違いが大きい。インディアンを見たのは、前者は錯覚、後者は原因になっている。
 私は初出が好きで、今度リライト版を丁寧に読んでいると、テイストが少しく違うのに改めて驚いている(村上の言うとおりだ)。
 その理由が、例えばこの「つまり」なのだ。
 初出は論理的だが、リライトは非合理的だ。(作者に代わってタネを明かせば、ラストの目に見えるものが存在せず、目に見ないものが存在する場所、が加筆される伏線になっている。)

 映画『アパッチ砦』ではジョン・ウェインとヘンリー・フォンダは以下のように会話する。

  (アパッチ族は強く、スー族を返り討ちにしたとジョン・ウェインが応え、)
  「ここにくる途中数人見たが、その後衰えたのだろう」(ヘンリー・フォンダ)
  「それはアパッチではない」(ウェイン)

 これが映画の初めのほうで、おいの言う科白だが、映画の終り近くで決戦の前の会話のほうが、小説の引用に近い。

  「(インディアンの)姿が見えん」(フォンダ)
  「岩陰にいます」
  「見えたか?」
  「見ずともわかります」

 おいの記憶は、上の2つの会話が合計されて圧縮されている。
 このインディアンの話は小説の中で印象的なものなので記憶に残るが、そもそもどういう意味があるのだろう? 

 初出とリライトでは、意味が違う。
 初出は、「耳のことで誰かに同情されるたびに」思い出すこと。(聞こえるということは、本当はそこにはいないということ。)
 リライトは、

  しばらくのあいだ、それが続くんだよ。そのあいだ耳はたしかに聞こえないんだけど、でも
  耳だけのことじゃない。耳が聞こえないのは、それのほんの一部のことなんだ (204頁)

 この「それ」(傍点付き)の感覚の説明として、おいが話すのがインディアンの話だ。「それ」は沈黙だけではない。沈黙を生み出すものそのものである。これが、リライト版の最後の頁に加筆された「目に見えるものが存在せず、目に見えないものが存在する」と表現されているもの、つまり、「幽霊」です。

     3

 いつから村上は、「幽霊」を書くようになったのか?
 『羊をめぐる冒険』(1982)では「鼠」の幽霊が出てくる。
 「貧乏な叔母さんの話」(1980)では「今は亡き」叔母さんが主題だ。
 『1973年のピンボール』(1980)では「眠る女」が「幽霊」。(『アフターダーク』の初出?)
 『風の歌を聴け』(1979)では?

 「幽霊」は出てこない。しかし、そこに描かれているのは「失われた」世界だ。 

                                                  (了)

     *原発再稼動は反対だ。十分安全対策を実施したあとで、数年間、活断層のないと
     ころ、津波のないところだけに限定しなければならない。日本の原発はアメリカ製
     で、アメリカにコントロールされている日本の役人が政権を支配して、日本の国土と
     国民を犠牲にして自己の権力を死守している。非国民・売国奴を倒さなければ、日
     本と日本国民の未来はない。

     *次回は、日本システム。
 

2012年4月16日 (月)

「めくらやなぎと眠る女」論   若草書房編集長

    1

 『めくらやなぎと眠る女』(2009、米版2006)の「めくらやなぎと、眠る女」(1995/11、初出1983/12)は、『象の消滅』(1991)に続く村上の世界標準第2短編集の表題作である。
 「これは僕のいちばん好きな自作短編小説のひとつになっている。」(『全作品1990-2000』第3巻 解題267頁)という重要な作品だが、とても不思議で難解な作品である。
 「象の消滅」(1985/7)のモチーフは天皇だったが、「めくらやなぎと、眠る女」にはどんな意味があるのだろうか?

    2

  「『空気さなぎ』の物語の筋はどこから思いついたんですか?」
  「めくらのヤギからでてきた」               (『1Q84』BOOK1文庫後編121頁)

 天吾がふかえりに新人文学賞受賞記者会見のためのレクチャーを行う場面である。
 「めくらのヤギ」が「めくらやなぎ」とよく似ているのに私は驚いたが、これは偶然だろうか?

  「好きな小説は?」
  「ヘイケモノガタリ」
    (4行略)
  「新しい文学は読まないのですか?」
   ふかえりはしばらく考えた。「サンショウダユウ」
   素晴らしい。森鴎外が『山椒大夫』を書いたのはたしか大正時代の初めだ。
                                             (同123-124頁)

 『平家物語』は、盲目の琵琶法師が語る物語であり、『山椒大夫』は盲目の母の眼がよみがえる物語である。(「安寿と厨子王」)
 このあと、ふかえりは『平均律クラヴィーア曲集』と『マタイ受難曲』が好きだと言う。ふかえりの『マタイ受難曲』暗唱部分は、あふれた涙がしたたるという詩句で『山椒大夫』のラストシーンと連続している。
 このように、村上の小説は意味がないようにみえて、実は関係性をもって言葉が選ばれている。だから、空気さなぎ、めくらのヤギ、めくらやなぎ、も偶然ではないと考えるべきだ。

    3

 空気さなぎは、電気うなぎの言葉遊び(言語ゲーム、ウィトゲンシュタイン)から生まれたと考えられるが、電気うなぎはどこからきたのだろう?

 「めくらやなぎと眠る女」は1983年の作品だが、『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』(1968)を映画化した『ブレードランナー』(SFの名作とされるが、私は評価が低い、映像が暗く単調なのだ。)が1982年に公開されている。『羊をめぐる冒険』を書いた村上には、「電気羊」は忘れがたい印象をあたえたにちがいない。
 電気羊は当然、電気くらげや電気うなぎを思い出させる。そして、電気うなぎは、めくらうなぎ(ヌタウナギ)を思い出させる。(村上は『平家物語』が好きだ。)

 めくらうなぎから、めくらやなぎはどのように変形されて出来てくるのか? 「柳の下のどじょう」だ。
 めくらやなぎという言葉自体は、以上のような径庭をたどって1983年に小説の題名として現れたと考えられるが、それはどのような外形をしているのか?

  めくらやなぎはつつじくらいの大きさの木だった。花は咲くが、その花は厚い緑の葉にしっ
  かりと包み込まれている。葉は、とかげの尻尾がいっぱい集まったような格好をしてい
  る。めくらやなぎはちっとも柳のようには見えない。    (『めくらやなぎと眠る女』32頁)

 はじめて読んだときから、この短編は不思議な魅力があって、これはなんだろうと気になっていた。その魅力の大きな部分は、「めくらやなぎ」という村上の造語にある。村上も自分が偶然作った不思議な言葉に驚いたにちがいない。(だから、いちばん好きな短編小説なのだ。)
 残念ながら、モデルになる植物は提案できない。しかし、部分的にはそれはツツジだったのではないだろうか。そしてそのツツジの場所は、霊園である(『1973年のピンボール』)。

    霊園は山頂に近いゆったりとした台地を利用して広がっている。(中略)刈りこまれたつつ   
  じが草をはむ羊のような姿でところどころにちらばっていた。
   女は眠るように眼を閉じ鼠にもたれかかっていた。            (旧文庫80頁)

 「めくらやなぎ」の主人公は、祖母の葬儀で8年ぶりに故郷に帰る。その母親にたのまれて、おいを山手の病院にバスで連れてゆく。おいは耳の病気だ。主人公はおいの診療中、自分の17歳のときの海辺の病院に同級生とその彼女を見舞いにいったっときのことを、思い出す。彼女は、めくらやなぎの丘とそこに眠る女の話をする。(彼女の創作。)小さな蝿が女の耳から中に入り、体の内側をむさぼる。
 主人公は、めくらやなぎの丘と眠る女をそのままにしてしまったことを思い出す。帰りのバス停で、目に見えるものが存在せず、目に見えないものが存在する薄暗い奇妙な場所に立っていたことに気づく。

 村上は耳の医者に通ったことがあるのだろう、この小説のおいは村上自身である。バスでたどりつたのは、丘の上の霊園である。
 「イントロダクション」(『レキシントンの幽霊』文庫180頁)によれば、この短編は「蛍」と対になって『ノルウェイの森』になったものだというが、丘の上の霊園に眠る女は直子さんなのだろうか?

 「めくらやなぎ」は「柳」ではない。「柳」が「幽霊」の縁語であるので使われているだけだ。(だから「ちっとも柳のようには見えない。」)

    4

 言語ゲームをはじめて本格的に展開したのが、「めくらやなぎ」だった。
 この方法の成功で、村上は「ねじまき鳥」や「うずまき猫」や「象工場」などを作る。それらの強い言葉はエネルギーを発し続けることで、作者がおもしろい物語を書く原動力になり、読者が惹きつけられる魅力の源泉になっている。

 「象の消滅」は天皇の寓意表現だったが、「めくらやなぎ」は強力な言葉が「物語」を生みだすエネルギー源になることを発見した記念碑である。
(「青豆」や「空気さなぎ」の言葉のエネルギーは強い、「ねじまき鳥」も強い。しかし、「海辺のカフカ」は弱い。)

                                                                                                           (了)

       *『アパッチ砦』についての議論を書いていませんので、明後日に書く予定です。

2012年3月13日 (火)

オールド・スポートと『カンガルー日和』    若草書房編集長

     1

 『カンガルー日和』(1983)の「カンガルー日和」(1981/10)は、大きな秘密を隠している。

 本稿で解明するのは、①「カンガルー日和」のテーマ、②「カンガルー通信」のテーマ、③オールド・スポートの起源、④皮剥ぎの起源、⑤「100パーセントの女の子」の起源、その他である。

     2

 「カンガルー日和」は短編集『カンガルー日和』の表題作だが、『中国行きのスロウ・ボート』の「中国行きのスロウ・ボート」と違って、あまり良い出来の小説ではない。
 これは短編集『カンガルー日和』全体について言えることで、いろいろな試みを自由に発表しているという印象を受ける。(「100パーセント」「かいつぶり」は特別に優れていて、私は村上短編ベスト5に入れている。)
 それは村上も言っていることで、「短編近似作品」であり、「自分の中にある、変則的な形でしかうまく抽出されにくいものをそれなりにうまく抽出できたような気がする」(『全作品1979-1989』⑤「自作を語る」)というものだ。
 「カンガルー日和」は「実験的」(同上)な小説であるが、村上の中の何を表現しているのだろうか?

 『中国行きのスロウ・ボート』はテイストとしてジャズをモチーフにしているが、『カンガルー日和』はポップスをモチーフにしている(と仮定することができる)。
 イパネマの娘、バート・バカラック、サウスベイ・ストラット、・・・
 「カンガルー日和」のポップスは何だろう?
 それは『悲しきカンガルー』(1964)である。

 Tie me Kangaroo down, sport

というリフレインがとても印象的で(私はタイニカンガルーダンスポッ、と憶えていたが)、後年まで記憶される名曲である。
 原曲はオーストラリアの1960年のヒット曲で(ロルフ・ハリス)、1963年にアメリカで大ヒットしていた。題名は上記のフレーズ。坂本九『上を向いて歩こう』がヒットしていたのと同じころのことである。
 日本では、ザ・ピーナッツのものとダニー飯田とパラダイスキングのものの2つが競作で出たが、詞の内容は異なる。原詞は後で紹介するが、3つの世界は別物である。
 ザ・ピーナッツは女の子の恋の歌。パラダイスキングは男の子の恋の歌。原詞はかなり不思議なシュルレアリスムの世界。
 日本でヒットして記憶されているのは、パラダイスキングの男の子の失恋の歌である。

  みなさんちょっとここに来て聞いて下さい。
  これはオーストラリアのある街はずれでのお話です。
    カンガルーてあだ名で呼ばれた男の子の悲しい物語です

  つかない日とはきのうのこと
  さんりんぼうか13日の金曜日か

  Tie me Kangaroo down, sport
  Tie me kangaroo down
  Tie me kangaroo down, sport
  Tie me kangaroo down

  すかして街を歩いたら
  いい娘が通るあとをつけたよバッチリコン

  Tie me Kangaroo down, sport

      (くりかえし)

  スイとまがった可愛いい娘ちゃん
  あわてた僕は真赤なポストにガンガラリン

      (リフレイン)

      (1連略)

  しかたがないさあきらめよう
  ガチャ目に涙悲しカンガルーそれは僕

      (リフレイン)

      (1連略)

      (リフレイン)

 この詞は似ている、あの「100パーセントの女の子」に。そしてそれは偶然ではない。
 短編集では発表順を無視して、「カンガルー日和」「100パーセント」と連続している。つまり、2つの世界は連続しているのだ。
 村上はこの短編集では「100%」がいちばんお気に入りとのこと。(『全作品』)

  満員の山手線の車中である広告ポスターを見かけたことが原形になっている。(略)モデ
  ルになっていた女の子に、僕は理不尽なくらい激しく惹かれた。胸がいっぱいになって、
  脚が震えた。それは今思いおこしても本当に運命的な出会いだったのだ。 (同上)

 この経験が「100%」になるためには、『悲しきカンガルー』がどれほど強く深く村上の記憶に刻まれているかが証明できなければならない。

     2

 原詞は以下のようである。(要約)

  オーストラリアの牧童が死に瀕して仲間に語りかける。

    ワラビーにえさをやってくれ

    (リフレイン)

  カンガルーをつないでくれ、君(sport)

    (リフレイン)

  ボタインコ

    (リフレイン)

  コアラ

    (リフレイン)

  土人

    (2連略)

  私が死んだら私の皮を剥いでくれ、フレッド

  それで私たちはクライドが死んだ時、彼の皮を剥いだ
  ほらあれだ 小屋にかかっているやつだ
  さあ、みんないっしょに歌おう

 こんなところで「皮剥ぎボリス」に出会うとは、奇遇というほかはないが、映画『羊たちの沈黙』以前に(おそらく高校時代)脳に入力されていたのだ。(ジェイ・ルービンになぜこんな皮剥ぎのようなものを書くのかと聞かれて村上は、どうしてか分からないと答えている。)

 この深層記憶が、『グレート・ギャッツビー』(2006村上訳)の old sport を「オールド・スポート」と訳させている主役である。
 訳書の91頁が初出でそこでは、呼びかけの「あなた」にルビとして「オールド・スポート」が出てくる。次頁からはルビではなくなる。
 「訳者あとがき」で村上は、「オールド・スポート」は「オールド・スポート」以外ではありえない、と言っているが(柴田元幸にも同意させている)、いかにも不自然だ(慣れるとそうでもなくなるのだが)。
 やはり、『悲しきカンガルー』のリフレインが「私的言語」として、村上の創作を動かしているのであろう。村上も気が付いて(読者があとで分かるように)「スポート」を書き残したのだ。

  sport                      
  1-4 略
  5 (主に豪略式・米古風)(呼びかけ)君、あんた ▼親しい男同士が用いる。
  6-9 略
                              (『プログレッシブ英和中辞典』第4版)

     3

 加藤典洋『村上春樹の短編を英語で読む』(講談社2011)では、全小説に作品番号を振っていて便利だ。加藤は「10カンガルー通信」「11カンガルー日和」としているが同じ1981年10月の発表。
 村上も「どちらが先だったのかはどうしても思い出せない。」(『全作品』)と言うが、「カンガルー日和」が先だ。
 「一ヵ月間、・・・待ち続けていたのである。」(「カンガルー日和」)
 「二ヵ月前に生まれたばかりです。」    (「カンガルー通信」)

 これは内容からも証明できる。
 「カンガルー日和」が女性から男性へのメッセージであり、「カンガルー通信」は男性から女性への返信である。

 「カンガルー日和」のテーマは、女の子の出産願望である。
 村上は結婚はしても子供を作らない人生を選択したので、夫人とのあいだに確執があるが、1981年なら32歳くらいで、夫人の言として読むと村上への強い皮肉が読みとれる。
 カンガルーの赤ん坊を見に行きたいということだけでも、すでに出産願望の現われであるが、女の子の話は終始赤ん坊のことばかりだ。
 男は女の出産願望に気がつかない(ふりをしている)。

 「カンガルー通信」はしつこい女性のクレームへの返信である。
 「谷津遊園」でカンガルーを見たあとで、大きな議論があったのだろう。村上の決意はかたく、女の子の願望はかなえられない。
 「カンガルー通信」には強いストレスが感じられる。今回20年ぶりに再読(2度目です)したが、昔と同じく辟易した。(だめなものはだめということ。しかし、なぜ村上は子供を作らないのだろう。)

     4

  柵の中には四匹のカンガルーがいた。一匹が雄で、二匹が雌、あとの一匹が生まれたば
  かりの子供である。                      (「カンガルー日和」文庫9頁)  

  一匹は子供で、二ヵ月前に生まれたばかりです。それから雄が一匹に雌が二匹。いった
  いどういう家族構成になっているものか、僕には見当もつきません。
                                   (「カンガルー通信」文庫121頁)     

 確認はできないが、カンガルーを動物園で飼育する場合このような家族構成はない。

 村上の「私的言語」である。 

                                               (了)

          *年末から倉庫2万冊の本の整理、移転で忙殺。疲労困憊。

          *500頁の漢詩文の研究書も大変でした。

          *本ブログを本にするため、序説を書いたり、全編見なおしたり、まったく更
           新できませんでした。すみません。

          *津波の復興や原発の対策が進まないのも、現在の日本システムが(村上
           の言うように)間違っているからだ。みんなが役人の不正を認識しなけれ
           ばならない。

          *本稿は、中野和典の論文に答えて書いたメモ(2月)を大幅に改稿した。

          *サリンジャー「バナナ魚日和」については、別稿で検討する。

2011年12月 8日 (木)

『ノルウェイの森』の映画論      若草書房編集長

     1

 映画『ノルウェイの森』は失敗作だった。
  一度しか見ていないが、原作をあてにしてしまっているようで、映画は説得力に欠ける。小説を読んだ時の、あの深い悲しみがない。

 映画は原作とは別物なのだから、小説の本質的なテーマを必ずしも表現する必要はない。しかしその時は、監督のテーマを映像で表現しなければならない。

  どのような真理をもってしても愛するものを亡くした哀しみを癒すことはできないのだ。
                                           (新文庫・下253頁)

 小説のテーマは上の文に端的に表明されているが、映画は決断できていない。
  突撃隊の描写がないのも不満だが、直子の涙のケーキは省略してはいけない。
  永沢にはナメクジを飲ませるべきだし(映像はいらない)、ハツミさんとワタナベは二人で話すべきだ。
 レズビアンの少女は時間が足りないかもしれないが、レイコさんが何ものかがこれではわからない。
 それ以上に、緑が不十分で役者が可愛そうだ。もっと掘り下げた人物描写をしてあげなければ、直子も生きてこない。
 ワタナベもストライキの指導的学生に詰問させなければ、実につまらない男だ。
 偶然に降った雪がなければ、映像としても魅力に欠ける平板な映画になってしまっている。

     2

 村上小説には映画が数多く登場する。村上はシナリオ・ライター志望だったので、早稲田大学の演劇博物館で、古い映画雑誌に収録されている過去の映画シナリオをたくさん読んだと言っている。

 村上は小説を書くのに、会話部分については困ったということはないと言っているが、この時のシナリオ体験がとても役立っているものと思われる。

  村上小説に出てくる映画作品については、明里千章の労作がある(明里『村上春樹の映画記号学』若草書房2008)。映画作品名のないものも調査研究して、特定に成功している。

 例えば、「大恐慌を扱った古い映画」(『風の歌を聴け』新文庫74頁)については『草原の輝き』(1961)であると結論するのだが、『ノルウェイの森』を思い出させる哀切な美しい映画だ。(女性主人公が療養所で心の病を癒すのも似ている。)

 『草原の輝き』の主人公たちは、『ノルウェイの森』のキズキと直子のように、うまくセックスができない。だから、より直接的には「我らの時代のフォークロア -高度資本主義前史」(1989)につながっているのだが、村上の重要なテーマ「性交」を考えるのにも映画のシナリオがヒントを与えてくれる。

     3

 村上の小説の創造・構想過程を推論するのに、仮説として、映画(シナリオも含めて)の一部が利用されているのではないかと、私は考えている。

 『ノルウェイの森』は、『魔の山』が作品中にも登場して、療養所は『魔の山』からの影響であると考えられている。
 しかし、それだけではないと私は考えている。つまり、映画『草原の輝き』の影響も大きいのではないかと考えているのだ。(近年の雑誌『タイトル』でも言及している。)

     4

 村上の言う「総合小説」は、古くは「全体小説」といわれたもので、戦後のサルトル『自由への道』などがその代表的なものである。ファシズムとの連想をきらって、「総合小説」という言い方が一般化している。

 しかし、村上が「総合」という言葉を選んでいるのは、「総合芸術」=映画の連想、より正しくは映画の製作方法が大きく影響していると考えられる。

 つまり、村上の小説は映画のシナリオなのだ。
 映画のサウンドトラック音楽のように音楽名が書き込まれ、小説名がストーリーの一部として(ストーリーの原典の明示)読者に示され、映画の題名がもう一つの小説内容の起源であることを表明する。
 (明示しないのは、おそらく著作権を侵害することを心配しているものと思われる。)

                                                  (了)

        *明里の本は、もっと利用されなければならない重要な仕事だ。「村上春樹が
         読んだと思われるシナリオ一覧」など、必読資料である。

        *次回、システム批判。

 

2011年11月24日 (木)

1978年4月1日ヒルトンのヒット    若草書房編集長

     1

 村上研究における最大の難問の1つ、あの「天啓」を私たちは解明しようとしている。

 その時、彼は29歳で、29年間優勝していない球団の開幕戦を外野の芝生席で観戦していた。新人のヒルトンがヒットを打って勝ち、チームはその年優勝した。
 村上はそのヒットの時、「天啓」を受け、小説が書けると思ったという。彼は原稿用紙と万年筆を買ってきて、書き始める。それが、『風の歌を聴け』になった。

 『群像』新人賞受賞の言葉で村上は、それまで1度も小説を書いたことはないと言っているが、違う。都甲幸治の紹介した海外メディアのインタビューでは、20歳まえには習作を試みているし、原『風の歌を聴け』とも言うべきリアリズムで書いた新人賞応募作もある。(都甲『村上春樹スタディーズ2005-2007』若草書房2008)
 そして、『雑文集』のヒルトンについての文章には、「その年の春から小説を書き始めていて」とあり、「天啓」によって『風の歌を聴け』が書き始められたわけではない。

 しかし、この「天啓」は「天啓」というにふさわしいものである。

     2

 原『風の歌を聴け』が書かれたのは、おそらく1977年、28歳の時。その前年の5月に祖母が亡くなっていて、そのあとで書き始めたと思われる。

 「めくらやなぎと、眠る女」には加筆された部分があって、(全体は初出の半分ほどになっている)主人公の帰郷の理由に祖母の死が書かれている。
 この祖母は、『風の歌を聴け』では、

  「暗い心を持つものは暗い夢しか見ない。もっと暗い心は夢さえも見ない。」死んだ祖母
  はいつもそう言っていた。
   祖母が死んだ夜、僕がまず最初にしたことは、腕を伸ばして彼女の瞼をそっと閉じてや
  ることだった。僕が瞼を下ろすと同時に、彼女が79年間抱き続けた夢はまるで舗道に落
  ちた夏の通り雨のように静かに消え去り、後には何ひとつ残らなかった。(新文庫11頁)

と書かれているとても印象的な女性だ。
 この祖母の話のような「私小説」的なリアリズムの文体で書かれたものが、原『風の歌を聴け』だったのだろう、村上自身も面白くなかったと言っている。(   )

 それを書き直すヒントになったのが、ヒルトンのヒットだったのだが、その前に、原『風の歌を聴け』が「私小説」であった理由について議論しておかなければならない。
 『風の歌を聴け』の第1行「完璧な文章などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」が、ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』「語りえぬものについては沈黙しなければならない。」の書き換えであることは、既に述べたが、「街と、その不確かな壁」の第1行「語るべきものはあまりに多く、語り得るものはあまりに少ない。」も同じである。
 ウィトゲンシュタインは村上に、極めて大きな影響を与えている。(『1Q84』でも「説明しなくてはそれがわからんというのは、どれだけ説明してもわからんということだ」(BOOK2、183頁)と書き換えている。)

 「1Q84への30年」インタビューでも言っているように、村上はウィトゲンシュタインの「私的言語」で小説を書いている。
 『風の歌を聴け』の祖母の話など、その例で、唐突の感があり、「私的言語」の理論が無ければうまく説明できない。
 「私小説」がどうにも読みにくい理由は、その明るくない内容もあるが、読者がすでに読んだことのあるような話が遅遅として進み、文章の喜びが得られないことにある。
 例えば、中上健次『枯木灘』など、読むのにどれほど苦しめられたことか。
 日本近代文学史上、最高の名文である永井荷風『墨東奇談』(文字が変換されずすみません。)は、心奪われる美しい文章だ。(ここには漢詩文のリズムと欧文のリズムが基礎にある。)
 村上の「私小説」も読みにくい。「街と、その不確かな壁」はその実例である。
 「私小説」を「私的言語」の物語にするにはどうしたらよいのか? 読者が知らない、読んだことの無い話にすればよい。
 一度書いたリアリズムの文章を、読者の読んだことのあるような部分を消去して、特に、内面の告白のような陳腐極まりないものは徹底して排除し、断章化された短い物語が残された。「私的言語」の集合体にすることにより意味が連続しないことにより、詩的な印象を感じさせることに成功している。

     3

 ヒルトンのヒットが「天啓」になったのは、英語の文体のリズム感を取り入れることで「私小説」をリズムのある、自分でも読みやすいものに変えられると思ったのだ。

 伝説では、原『風の歌を聴け』の最初を英訳したというのだが、むしろカポーティやチャンドラー、フィッツジェラルドの英文を翻訳と丁寧に比較したのではないか。
 そこで発見したのが、翻訳文の短さである。『グレート・ギャッツビー』など、英文の一文が翻訳では二つに分けられている。
 英文では一息で読める長さが、日本文では2つになってしまう。これを無理に1文にすると、日本文ではリズムがなくなってしまう。
 だから、『風の歌を聴け』は1文が基本的に短くなっている。
 これでようやく、「私的言語」で小説を書いてもリズムのある、永く読まれる文章が書けると自信を持てたのだ。

     4

 デレク・ハートフィールドの由来を、私は以下のように想像している。

 デレクは、ジャズ・ミュージシャンのデレク・ベイリーから。
 ハートフィールドはイギリスの湖水地方、『くまのプーさん』の故郷、この本は村上のころの高校・大学の副読本だった。これが頭に残っていて、1978年の神宮球場のセンターフィールドに飛んだヒルトンのヒットが、ハートフィールドになった。

                                                   (了)

     *『ねじまき鳥クロニクル』旧文庫、上25頁「中世の銅版画」、上38頁「キリコの絵」、
      中101頁「ムンク」、中252頁「超現実主義絵画」、下33頁「ヴァン・ゴッホの有名な橋
      の絵」。メモから書き写すのを忘れていました。すみません。

     *校正で時間が無く、十分に検討できていません。後日補訂します。

2011年11月 4日 (金)

海辺のカフカ 村上小説の絵画論③   若草書房編集長

     1

 『海辺のカフカ』は、絵についての小説である。
 村上の小説は多く、音楽から生まれる。『風の歌を聴け』『ノルウェイの森』『ダンス・ダンス・ダンス』『国境の南。太陽の西』『ねじまき鳥クロニクル』『スプートニクの恋人』『1Q84』。
 しかし、絵(イメージ)から生まれるものもある。『羊をめぐる冒険』『海辺のカフカ』。

 この村上小説の絵画論①で、村上小説に絵は少なく、さらに題名はより希少であると書いたが、「ピカソのオランダ風の花瓶と髭をはやした三人の騎士」(『ダンス・ダンス・ダンス』旧文庫、上372頁)と『海辺のカフカ』だけである。
 この二つに共通する属性は、架空の作品であるということ。
 「ピカソのオランダ風の・・・」は存在しない。調べてみて、途中で気が付いた。この題名はありえない題名だ。静物と女、や3人の道化師、なら見覚えがあるが、花瓶と3人の騎士、では絵にならない。
 村上の悪戯に早く気付かなかったことを反省して、『海辺のカフカ』にもどった。

 『海辺のカフカ』も、架空の作品である。どうして村上小説には、現実の絵が明示されないのだろう?

     2

   言語とは、誰が読んでも論理的でコミュニケート可能な「客観的言語」と、言語で説明の
  つかない「私的言語」とによって成立しているとウィトゲンシュタインが定義している。私的
  言語の領域に両足をつけ、そこからメッセージを取り出し、物語にしていくのが小説家だ
  と考えてきた。でもある時、私的言語を客観的言語とうまく交流させることで、小説の言葉
  はより強い力を持ち、物語は立体的になると気がついた。
                      (読売新聞インタビュー「1Q84への30年」2009/6/18)
 「ある時」とは、2002年『海辺のカフカ』から2006年『1Q84』を書き始めるまでの期間、と私は考えている。
 それは、『海辺のカフカ』があまりに「私的言語」過剰で、『1Q84』のような「客観的言語」と「私的言語」の交流に失敗しているからだ。

     3

 『海辺のカフカ』は存在しない絵であるが、もとになった写真は存在する。
 『辺境・近境』で村上は、山口県の「からす島」を訪れている。その個人所有の無人島に、村上はキャンプ泊している。
 そのときの、海岸のポートレイトが、『海辺のカフカ』の原型である。
 「からす島」のとなりは「(周防)大島」であり、大島さんはここから、(佐伯さんも近くの地名だが、それは別稿)。また、なぜ高松かと話題になったが、村上の父は浄土宗の僧侶、宗祖法然源空上人の流刑地が高松である。(カフカ『流刑地にて』は、『1Q84』でも再利用される村上のお気に入りだ。)
 『海辺のカフカ』は、私的言語が過剰で、読者が内容をうまく読みとれない。「ジョニーウォーカー」などがうまく接続していないのだ。

     4

 比喩は多く、映像である。
 これはどういう効果があるのか?
 比喩は、小説に映画のモンタージュの効果をもたらす。
 読者が小説を読んでいる時、読者の架空した映像の流れに、流れに掉さす、あるいは乱す、あるいは無関係なカットを入れて、映像を想像力に富んだものにする。

 村上は比喩を多用することによって、動きのあるイメージ(映像)を小説に実現している。
 だから、直接的に「絵」を入れて、小説のイメージを膨らませる必要がない。(むしろ、動いていないものを入れて、リズムを妨げるのを避けている。)

     5

 村上の「絵」は、とても「私的言語」なのだ。限定されたものであり、音楽のようにイメージを膨らませてくれない。

 『海辺のカフカ』は、絵から音楽が作られる。音楽が村上の小説のイメージを作る。

                                                   (了)

     *『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』にはない。
      『国境の南、太陽の西』には「スーラーの絵」(文庫177頁)だけ。
      『ダンス・ダンス・ダンス』では「ピカソのオランダ風の花瓶と髭をはやした三人の騎
      士」(旧文庫、上372頁)。
      『スプートニクの恋人』にはない。
      『海辺のカフカ』では「『海辺のカフカ』の絵」(下111頁)だけ。

     *次回、システム批判(11/8予定)

     

2011年10月27日 (木)

キリコの絵 村上小説の絵画論②   若草書房編集長

     1

 『羊をめぐる冒険』には、「キリコの絵」(旧文庫上35頁)と「モダン・アート」(同52頁)しかない。『中国行きのスロウ・ボート』にはない。

     2

 The New York Times の『1Q84』特集(2011/10/23)は、Comprehensive Novel と1968年の理想主義をモデルにした世界を作るべきだ、という発言、そして最後のパピヨンが興味深かった。
 The Washington Post の書評はA評価だったが(10/20)、批評家が930頁を3日で読んだと書いていたので、そもそも日本語と英語で読書スピードはどれほど違うのか、調べた。

 『ノルウェイの森』英語朗読CDは808分であるが、私が日本語文庫版を朗読すると1160分かかる計算(1頁2分前後×580頁)である。
 つまり、日本語では英語の約1.43倍時間がかかる。
 これを、『1Q84』に当てはめると、『ノルウェイの森』900枚と『1Q84』3300枚として、808分の3.66倍の2957分=49時間17分が英語朗読での時間になる。
 1日16時間読めばよいわけで、日本の書評家のように速読しなくても十分だ。

 The New York Times では村上は、『カラマーゾフの兄弟』を4回読んだと言っているが、1度は英語で読んでいる。その時、村上は英語で読むととても読みやすいと言っていたが、上記のように、日本語と英語のスピード(本当はリズム)がその要因であると、私は考えている。

     3

 村上の文体には、リズム(律動)がある。正確にいえば、リズム(律動)を作りながら文章を書いている。

 テレビ番組で、Jブンガクというのがあって、近代文学の名作を話し合い、一部を日本語と英語で朗読する。はっきりと違うのは、日本語の平板さと英語の音楽的リズム感である。
 英語の朗読を聞いていると、萩原朔太郎の言った、言葉はすでにして歌である、がリアルにわかる。
 ジェイ・ルービンによれば、村上小説でも短編小説の集合であって、ヨーロッパ小説のような長編の大きなリズムがない、という。
 村上は日本語の限界のなかで、動的なリズムのある小説を書いている。(塩浜久雄「天吾(村上春樹)の文章の「リズム」」『1Q84スタディーズBOOK1』若草書房2009、参照。)
 それは、リズムのない小説は長く読まれることはない、という考えによる。

 (日本語は、中国語とヤマト言葉の合成語なので、世界のすべての言語で行なわれる発音による(アクセントや四声など)語彙の拡大を行なわず、漢字と複数の発音の組み合わせによって獲得してきた。だから、アクセントが小さく平板に聞こえる。)

 リズムのある文体、つまり動的な文章には、当然、動的な言葉が選ばれる。
 それは、語感だけではなく、言葉から読者が受けるイメージも考慮される。
 音楽の曲名は、読者に流れる音楽を想起させ、映画のタイトルは、俳優や画面の動きを思い起こさせる。
 読者の脳では、村上小説の文章が動いている。

     4

 しかし、「キリコの絵」は止まっている。

 村上の文体は、動きを止めてしまう、リズムにブレーキを掛ける「絵」を、本能的に避けているのだ。

                                                 (了)

     *近世漢詩文の大部の原稿を読んでいて、更新できませんでした。すみません。

     *1Q84米版、目次がないんですね。どういう効果があるか、思案します。装丁はな
       かなか面白いです。

     *amazon uk の書評、日本人の批評家に読んでほしい。

     *2002/10/25に暗殺された石井先生が改革しようとしていた、特別会計システム。
      もう9年経ってしまった。役人が国家財政を食い物にしていると、ギリシャのように
      なり、国家破産してしまう。なんとかしなければ。先生、がんばります!

     *次回、海辺のカフカ 村上小説の絵画③(10/31予定) 

 

2011年10月18日 (火)

村上小説の絵画論①     若草書房編集長

     1

 村上の小説に絵画は稀にしか現れない。音楽や映画がたくさん出てくるので、そうした印象が強いが、そもそも『ダ・ヴィンチ・コード』などを除けば、多くの小説が絵画に言及することは少ない。

 『風の歌を聴け』には「一枚の絵」(新文庫15頁)しか出てこない。が、村上自筆のTシャツの絵(63頁)があることを思い出してほしい。(だから、村上が絵に関心が無いということはない。『ノルウェイの森』を自装したように、装丁にも熱心だ。『雑文集』で安西水丸は村上は絵がうまいと言っている。)
 しかし、音楽や映画のように、その作品名を使うことはほとんどない。その理由を探求する。

     2

 数少ない村上小説中の絵画について論ずる手がかりとして、まず『ノルウェイの森』のはじめに出てくる、「フランドル派の陰うつな絵」を特定したいと思う。

  十一月の冷ややかな雨が大地を暗く染め、雨合羽を着た整備工たちや、のっぺりとした
  空港ビルの上に立った旗や、BMWの広告板やそんな何もかもをフランドル派の陰うつな
  絵の背景のように見せていた。                         (新文庫7頁)

 フランドル派、というのは語感とちがって牧歌的なものではない。北方ルネサンスと言ったほうが、イメージしやすい。
 代表的な画家は、ヤン・ファン・エイク(1390?-1441)、ヒエロニムス・ボス(1450?-1516)、ピーテル・ブリューゲル(1525?-1569)、ルーベンス(1577-1640)であるが、狭く定義する場合、ルーベンスは入らない。

 ファン・エイクは「陰うつな絵」は書いていないので(ルーベンスも)、残る候補はボスとブリューゲルであるが、ボスの画面は『聖アントニウスの誘惑』(1505-06)などに代表される奇怪で驚異的な世界である。広い意味で「陰うつ」といえるものも、地獄の光景であるので、まず「陰うつ」という印象を受けるのはブリューゲルの風景画である。

     3

 ファン・エイクやボスの時代、ホイジンハの名作『中世の秋』の時代のあと、ブリューゲルの時代はスペイン支配下の新教徒弾圧で大量殺戮が横行していた。ダ・ヴィンチ(1519)とラファエロ(1520)が世を去った後、ブリューゲルは生まれた。(モンテーニュの同時代人だ。)

 最もよく知られた作品は『バベルの塔』(1563)で、ローマで見たコロセウムがモデルになっているらしいが、工事で働く人々が細密に描かれている。
 1565年に画家は「陰うつな」風景画を描く。
 「雪中の狩人」「鳥罠のある冬景色」「暗い日」の3枚であるが、これは1年の労働を象徴的に描いた月暦図で、現存するのは5点である。

 この3点のうち「雪中の狩人」はよく知られた作品で、文字通り「陰うつな」冬空が印象的な雪景色である。
 「鳥罠のある冬景色」も雪の林に囲まれた町の広場に人々が集う光景。
 「暗い日」も冬の森の中で働く人々の風景。
 さて、どれだろう?

     4

 手がかりは、小説にある。

 ①暗い大地、②合羽を着た人々、③旗や広告板、が「絵の背景」のように見えている、と書いてある。
 3つの絵のうち、①暗い大地、は共通している。②合羽を着た人々、は「雪中の狩人」「鳥罠のある冬景色」に共にある。③旗や広告板は「雪中の狩人」だけにある。(画面の左に、赤い居酒屋の看板がある。)

 この結論は、「フランドル派の陰うつな絵」を「雪中の狩人」ただ1枚である、と主張するものではない。
 むしろ、ボスやブリュ-ゲルの多数の「広義の」陰うつな絵(その中にはボス『聖アントニウスの誘惑』やブリューゲル『死の勝利』などが含まれる)の総体としてのイメージが、村上には所有されていて、そのイメージの一部が、ハンブルグ空港で眼にした風景によって想起されたと考えるべきである。
 だからこそ、特定の作品名ではなく「フランドル派」と言ったのである。

 この、ボスやブリューゲルの奇怪で悲劇的な絵のイメージは、『ノルウェイの森』のテーマ「愛と死」について何か言及しているのだろうか?

                                                  (了)

     *『ノルウェイの森』には「フランドル派」のほかには、「細密画」(上81頁)しか、絵画
       の言葉はない。フランドル派の絵は、細密画である。

     *『1973年のピンボール』には「ベン・シャーンの複製画」(旧文庫119頁)、しかな
       い。『カンガルー日和』にはない。

     *『ダ・ヴィンチ・コード』には音楽が出てこない。なにか手がかりになるかもしれな
       い。

     *次回、村上の絵画論②(10/21予定)

2011年10月14日 (金)

文学批評論以前  速読批判    若草書房編集長  

     1

  そもそも文学批評以前の問題として、作品を読まないで批評が可能だろうか?

 こんなことを言うのも、昔々、川端康成が芥川賞の選考で、読まなくともわかると言ったことがあって、(真偽はともかく)とても驚かされたことがあったからだ。
 もちろん、小説を読まずに批評はできない。しかし、現実にはそれはしばしば行なわれるようだ。

 全編を読まずにということはさすがに少ないようだが、速読で批評することは珍しくないようだ。下読みの段階では普通に行なわれているし、文学賞の選考会だけでなく、新聞の文芸時評でも速読で批評することがあるようだ。

 かつて大岡信が、朝日新聞の文芸時評を担当したとき(1974/12-1976)、速読のできない大岡は新聞社の了解を得て単行本主義をとり、それ以前の文芸誌中心主義を止めた。大岡は詩人であったので、文芸誌を毎月5冊も読むことが出来なかった。
 この路線は、次の加藤周一(1977)、大江健三郎(1978-79)に引き継がれている。

     2

 速読では読んだことにならない。読んだ気になっているだけだ。

 このことが分からないので、多くの批評家は『1Q84』の内容を読みとれず、その価値が分からない。
 平野啓一郎が『本の読み方 スロー・リーディングの実践』(PHP新書2006)で、実に的確に速読批判をしている。以下にそのコメントを引用し、稿者が『1Q84』の例を補う。

  速読して、つまらなかった、という感想を抱くのは(略)本の中の様々な仕掛けや、意味深
  い一節、絶妙な表現などを、みんな見落としてしまっている可能性がある。   (21頁)

  速読の際には、しばしば見落とされてしまうのである。(略)書き手の仕掛けや工夫を見
  落とさないというところから始めなければならない。                 (23頁)

  私たちは、小説を読むとき、細部を捨てて、主要なプロットに還元する読み方をやめて、
  むしろ、プロットへの還元から零れ落ちる細部にこそ、目を凝らすべきである。 (47頁)

  仕掛け、とは例えば拙稿「比喩=シュルレアリスム」で述べた比喩の裏の連続したストーリーであり、意味深い一節とは、例えば拙稿「シンフォニエッタとプラハの春」で述べた、タクシーメーター「2150円」(BOOK1、14頁)であり、絶妙な表現、とは例えば「沈黙自体が自らについて何かを語っているようだった。」(BOOK1、210頁)である。また、工夫は、「ボヘミアの草原の風」の連続である。

  とにかく、大切なのは、立ち止まって、「どうして?」と考えてみることだ。本というのは、そ
  ういった疑問を持った瞬間に、そういう疑問を持った人にだけ、こっそりとその秘密を語り
  始めるものなのだ。(略)たとえ、そのときには理解できなくても、そうして気にかけること
  で、その一節は読後も記憶に残り続け、何年か経ってから、「ああ、ずっと不思議だった
  けど、あれはそういうことだったのか!」と理解できるときが訪れるものである。そのとき
  初めて、長い時間をかけて、作者の最も深い場所から発せられた声は、読者に届くので
  ある。                                          (72-73頁)

 シンフォニエッタや青豆は、小説の始めに提示される「どうして?」である。これについては、拙稿「青豆とは何か?」と「シンフォニエッタとプラハの春」で解明した。
 また、「二つの月」は拙稿「二つの月とペーパー・ムーンとある愛の詩」で解明した。
 「空気さなぎ」についても拙稿「リトル・ピープル、空気さなぎ、双子」で解明したが、リトル・ピープルについては、まだ一部分しか解明できていない。

    ある作家のある一つの作品の背後には、さらに途方もなく広大な言葉の世界が広がって
  いるという事実である。(略)言葉というものは、地球規模の非常に大きな知の球体であ
  り、そのほんの小さな一点に光を当てたものが一冊の本という存在ではないかと思う。一
  つの作品を支えているのは、それまでの文学や哲学、宗教、歴史などの膨大な言葉の積
  み重ねである。                                       (79頁) 

 『1Q84』には、『カラマーゾフの兄弟』や『存在の耐えられない軽さ』、『失われた時を求めて』、チェーホフ『サハリン島』や映画『ペーパー・ムーン』『華麗なる賭け』『渚にて』、『平家物語』、『平均律クラヴィーア曲集』、『マタイ受難曲』、ウィトゲンシュタイン、ユング、・・・などの世界が接続している。
 『1Q84』の小説の豊かさは、その文中の多くの作品群によってもたらされている。 

     3

 小説を速読してはならない。小説はプロット(陰謀、策略)ではない。
 小説は時間芸術である。
 小説は音楽のように書かれている。

 特に村上の小説は、音楽のリズムで書かれている。回転数を上げると、その音楽が破壊されてしまう。

                                                   (了)

     *読む、とは日本語辞書によれば、予言である。

     *川端、と書いたが、あるいは違うかもしれない。ご存知のかたは御教示下さい。

     *速読は批評の危機、ひいては文学の危機である。

     *次回、文学批評論(10/17予定)

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